今週は信徒執筆です

「44歳0地点・・45歳始まり」 part1

 川島 智世           

 私は同和地区で生まれた。同じ町内でありながら、ただ同和地区に生まれたということで「あの地区の子と遊んではいけない・・あの地区はがらが悪いから」と言われた。高校の時には自分の住所(地区)を正直に言えなくなっていた。差別といういじめの構造が、地域の中でも家庭の中でも弱い者に向かってゆくことを、目の前で見そして感じて生きてきた。お金がない生活に母のやるせない苦しみ葛藤が、毒舌のように父に吐かれ、父はその言葉にきれて母を連打する。その鬱憤が今度は私に向けられた、母の言葉の暴力。自分が気に入らなければ、そこに友達や先生がいようと容赦なく連打され、時には冬であろうと、桶やバケツいっぱいの水を頭から母にかけられた。差別という現実が貧困をうみ、心までも卑屈になってゆく大人がいる社会。

 17歳の時には「なぜ自分は生まれてきたのだろう」と、全ての事が嫌になっていた。母の暴言は、毎日のようだった。ある日、居間に座りテレビを見ている私に母の罵倒がはじまった。暴言に耐えるごとく母を睨んだ私に「その目は何だ!頭から水をかけてやろうか・・?!」と怒鳴られ「かけたければ、かければいいじゃない!」と言葉を返した瞬間、母はやかんを握り締め私の頭上からジャーと水を・・。やかんの口から流れを落ちた水は私の髪を濡らし、顔をつたい肩にも流れ、太もも、膝、畳へと流れ落ちた。母は苦笑いしていた。私はその時、本当に死にたいと思った。自分の部屋に戻り自分で自分の首を絞めた。直ぐには息が吸えないほど締め上げていた・・首に紐のあざを残しつつ、死にきれない自分にオイオイ泣いた。それが私の人生の最悪の日。

 死んだ人間のように生活をしていた私のところ(自宅)に、クリスチャンが聖書を置いていった。聖書を開いて読みつつ「疲れた者、重荷を負う者は、誰しも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。・・・」御言葉が私の心を捉えた。「教会に行こう・・」生きる価値がない自分だと思っていた私は教会の前まで行っては、ドアを叩けず帰る日が続いた。門を叩くのに勇気が必要でした。やっと誰もいない教会に足を踏み入れて・・私は礼拝堂で聖書を叩き付けんばかりに泣きながら助けを求め祈っていた。「この世に神がいるなら・・助けて・・生きるのが辛い・・苦しい・・気が変になりそうだ・・助けて・・」と、叫びに似た祈りを終えた時、私は不思議な体験をした。
祈り終えた瞬間、光が真っ直ぐ私の心に注がれ、「この世の全ての人がお前を身捨てても、私はお前を愛する。お前を助ける。」神の言葉を感じた。その日から私の生き方は180度変わった。全て前向きに・・神の光を目指し信じて歩きはじめた。

 神を信じたからと言ってその日から、全ての苦しみから解放されるわけではない・・
父と母の夫婦喧嘩も、母の私への暴言も、私の周りの環境は何ひとつ変わらない・・ただ私の心が変わった・・。苦しみ辛さも以前とは違う、全く違う、わけのわからない苦しみ辛さではなく、しっかりと注がれた光、神の愛に包まれた歩みが始まったのだ。

 辛い時、苦しい時は「まよえるとき光を」聖歌を歌い祈り、教会の礼拝やクリスチャン達との語り合いや、恩師の支え励まし、友人にも心を支えられつつ、神様に喜ばれる道具になるための訓練がはじまった・・・。高慢になれば必ず打ち砕かれ・・謙虚にされた。神様の愛に近づけば近づくほど自分の心の中にある罪、弱さ・卑しさ・依存・甘え・執着・嫉妬・ねたみにどんどん気づかされました。それは今も続いている・・。

次週に続く

(2006年02月12日 週報より)
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