今週は信徒執筆です

「44歳0地点・・45歳始まり」 part2

 川島 智世           

 神の存在を受け入れて27年が過ぎました。地域の母子の子育て支援を始めて、今年で13年が過ぎた昨年6月、仕事の適性判断をしてくれるセミナーが多摩市であり、自分を見つめなおしたい気持ちと、知人が講師だったせいもあり、知人がどのような講義をするのか興味もあって、その講義に参加しました。そこには、4年前によく私の所に相談に来ていたHさんも来ていました。講義中講師から「人生の中で一番、最悪だった日と最高に幸せだった日を、隣の方と語り合ってください」と言われ、私はHさんと語り合うことになり、彼女に「私の人生最悪の日は、自殺したけど死にきれなかった時が一番、人生最悪の日かな?」とさりげなく言ったのです。その瞬間、彼女が押し殺すような声で目に涙をためて「川島さんが死なないで生きていてくれて良かった」と「川島さんがいたから、辛かった子育てが楽しかった」と・・彼女が言葉をくれました。予期せぬその言葉と、彼女の目と涙を見た瞬間、何かがこみあげて次から次へと涙が零れ落ちて・・とまらなかった・・。

 17歳の時、生きている価値のない人間だと思っていた自分を、今は生きていてくれて良かったと真剣に泣いてくれる人がいる・・。ただ嬉しかった。

 人は、誕生の時に、親から、地域から「生まれてきてくれてありがとう」と迎えられ生まれてくるべきもの、私は44歳にして「生まれてきてくれてありがとう」心から言ってもらえたのです。人は、死んだ後に感謝される事、惜しまれることはあると思う。生きている間に「死なないで生きていてくれて良かった」と泣いてくれる人がそばにいる・・・。ここにいる。なんて幸せなことかと思いました。

 私の魂は誰かに「貴方は必要な存在だ」と心から言われたかったのだと思う。「生きる価値のある人間なんだ」とずーつとその言葉が欲しかったのだと・・がむしゃらに走り続けてきた自分・・ポンと肩を叩かれたように・・「もういいよ・・がむしゃらに走らなくてもと・・」憑き物がとれたように。Hさんの言葉と共に、涙が心を洗いながし・・浄化したような・・そんな気持ちでした。

 誕生が0地点とすると0から生まれ私は、17歳まで負の道をたどり 17歳の人生最悪の日・・負の最高の地点で神と出会い、その日から神の光を頼りに歩き44歳でやっと0地点にたどり着きました。「生まれてきてくれてありがとう」という言葉を聞けたのです。

 クリスチャンと表明した時から、人は慈善に満ち溢れた理想のクリスチャン像に・・・素晴らしい人間になれるわけでは全くない。ただ自分の今までの人生を振り返った時、20代の自分より、30代の自分が好きです。30代の自分より40代の今の自分が好きです。40代のこの時しっかり磨きあげて50代はもっともっと自分を好きになっていたいと願っています。まだまだ不完全な魂ですが、感謝して・・・これからも光だけ目指して歩きます。これから先の人生は今まで神様から頂いた愛を惜しみなく人に注げる自分になりたいです。今まで自分の人生に悔いがないように、これからの人生も、出来ることを出来る限り精一杯取り組み、歩いてゆきます。いつか天国に戻った時に、神様から・・。先に天国に逝った、愛する姉妹から・・。「よく頑張ったね!」と抱きしめてもらいたいですし、天国の階段を登る時は、誇らしげな顔で天国の階段を登ってゆきたいから。

2006・1・26         
(2006年02月19日 週報より)
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