キリストに従う マタイによる福音書 17:1-8

山上の変貌の出来事が述べられます。 はっきり言って、とても神秘的、奇妙な出来事です。 弟子たちには夢の続きでも見ているように思われたことでしょう。 げんにルカ福音書9:32節の平行記事には熟睡していた弟子たちが目を覚ますと イエスの栄光の姿とともに立っていた二人の人を見て、 ペトロは「ここにいるのは素晴らしいことです。」と興奮する様子が描かれていますが、 何か夢の続きなのか、なお夢の中にいるのかどちらともつかない興奮が続いているような気すらしてきます。

そも、この出来事は何かということです。 主イエスは、ご自身の生涯の使命は、十字架の道であるという事をご存知でした。 そしていよいよ自らの決断を決行する時を迎えていました。 だから弟子たちにもそれを伝えようとしたのでしょう。すると光り輝く雲が彼らを覆った…というのです。 そこに天からの声がきこえたというのです。そこにモーセとエリヤが登場した(2節)というのです。

いうまでもなくモーセは律法をイスラエルに与えた人です。 エリヤはイスラエルに向かって伝えられた信仰に生きよと、偉大で孤独な戦いを貫いた預言者です。 わざわざモーセとエリヤを登場させ、神は弟子たちに何を見せたかったのでしょうか。 一つ間違えなくいえることは天上のすばらしさだった。 弟子たちは神の輝きと聞こえてきた声に <これは私の愛する子わたしの心にかなうもの> と聞き、非常に恐れた。 けれど同時にここに神がおられるという突き抜けるような喜びに満たされもしたのだと思います。 旧約の世界では夢をもって天の啓示を示すという事は時折ありました。 サムエルの誕生から幼年時代に夢で神の思いが示されましたし、 主イエスの誕生においても神の啓示はしばしば夢で伝えられました。

山上の世界で弟子たちは恐れと共に感激と興奮にみちた喜びに満たされました。 ですが山から戻ると早速、病気の息子を持った親が崩れんばかりに主イエスの前に膝まづいて言います。 「この子をお弟子のところに連れてきましたが、直すことができませんでした。」(15−16節) それが弟子たちの現実でした。弟子たちの現実は私たちの 現実でもあります。

昨日午後3時ごろ雨の中を杖と傘を持った、 ひとりの老人のホームレスの方がやってきました。 前日から何も食べていないとのことでした。 年齢を伺うと私と同年齢であるこことがわかりました。 老人には連れ合いが急ごしらえの昼食を用意して我が家の長男の来ていたレインコートを差し上げると 喜んで帰ってゆきました。 私たちは前の日に被災地に行ってきたばかりでしたが、 世の中には弱い立場の人々があふれかえっていることに思いが行きました。

しかし主イエスがめざしたのは感激も自己満足とも無縁の 十字架への道にまっしぐらに歩み始められます。 ところが福音書の大半は十字架の出来事で埋め尽くされています。 ヨーロッパの教会で掲げられている十字架像は目をそむけたくなるほど悲惨です。 あまりにも悲惨です。

主イエスは人々の喜びとする宴の場にも顔を出されますが それ以上に人が悲嘆にくれる場の中でこそ、 神がと慰め手となって立ち、時には悲しみを越えさせてくださるのです。 ヨハネ福音書において主イエスの十字架の時を繰り返し<栄光を受けると書き記しています。

わたしは一冊の本を思い起こします。新地書房という出版社から出た 「死の影を過ぎて」 という本です。著者はアーネスト・ゴードンです。 時は、太平洋戦争。 場所は今大騒ぎとなっているビルマのジャングルの英軍捕虜収容所の出来事です。 あの映画 「戦場にかける橋」 の舞台になった場所です。 映画はフィクションですが、著者にゴードンは虐待を受けた当事者です。 当初勢いに乗った日本軍はインド侵攻を目指し大量の英軍人を捕虜にします。 日本軍は勢いに乗って大量の連合軍捕虜と現地人労務者を動員して泰棉鉄道を建設します。 あの400キロの鉄道は18か月で敷設され、 そのため1万6千人の捕虜と6万人の労務者の命が犠牲になったといわれます。 クワイ川周辺の連合軍捕虜の多くが虐待で亡くなりました。

ある日捕虜に国際赤十字から聖書が送られるのです。 絶望の中で自分ひとりの生き残りしか考えていなかった捕虜たちに心通わす会話が生み出され、 死にゆくものがもう一人の死に行くものを心にかけ自分にできるささやかなことをし始める。 やがて驚くべき多くの英兵がキリストに回心し <集会> は <教会> にかわり、さらには大学となります。 人々は人間らしさを取り戻します。 やがて戦況は逆転し、多くの日本兵が、負傷してジャングルに打ち捨てられます。 衛兵たちはかつては敵であった日本兵の介抱と治療にすら手を差し伸べます。 やがて著者のアーネスト・ゴードンはアメリカにわたり、 1955年から1981年までプリンストン大学教会の牧師として若者の伝道と教育に尽くした。

信仰とは心に光をもたらすものですが、信仰は心も燃やす火でもあります。 地獄のような収容所でただ生き残るだけに生きていた捕虜たちが 人間として助け合う共同体に生まれ変わってゆく姿は気高く貴い人間の真の姿が輝いています。

(2021年03月14日 礼拝メッセージ)


戻る