宣教を可能にした心 使徒言行録 13:1-12

使徒言行録13章は初代教会にとって教会の広がりという点でも、 またキリスト教信仰のとらえ方の点でも飛躍すべき一つの大きなきっかけでした。 そしてその役割を 担ったのはアンティオキアにあった教会でした。 アンティオキアは今でいえばかろうじてトルコに引っ掛かっているシリアにある場所にあった教会です。12章でヘロデ アンティパス王が、エルサレム教会の中心の一人であったヨハネの兄弟ヤコブを剣で切り殺し、 それがユダヤ人に喜ばれたので、 さらにペトロを捕えて牢に幽閉しやがてペトロも同じ運命をたどる危険が迫っていた。

指導者が次々と弾圧される可能性が出てきた。恐ろしい現実です。 しかし同時に、キリスト教そのものの将来も危うい状況にさらされるようになってきた。 どうすべきか。教会は武力も政治力もないのです。 多くの教会が考えることは、やはり権力には逆らえないのだ。 今は従順に、王には恭順の姿勢を貫くべきだと考える人も少なくないでしょう。 たぶんエルサレム教会では結論を出しかねていた。 むしろ次はだれがやられるだろうかと恐怖心におびえていたかもしれません。

その時立ち上がったのがアンティオキアにある教会でした。 アンティオキアはユダヤではありません。 シリヤ―つまり異邦の地にあったところで、地中海通商のかなめの都市です。 ここに伝道をして教会を造り上げたのは 11:20 によると <キプロス島やキレネから来た> ユダヤ人でした。 ステファノの殉教がきっかけで散らされてきた人々です。 ですから基本的にはギリシャ語を話すユダヤ人と考えられます。 アンティオキア教会ではバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン (ニゲルとは、二グロ・つまり黒人のという意味です) この人は主イエスが十字架につかれるとき虐待と疲労から倒れた時、 ローマ兵に主イエスにかわって、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、 キレネ人のルキオ(キレネはリビヤです)、そしてサウルー後の日のパウロ。 多彩な人々がいたものです。 ここにはもうすでに多彩な人々の共同体が出来上がっていました。 11:22 を見るとバルナバはエルサレム教会から送られて、 アンティオキア教会がエルサレム教会の意向に従うべくいわば教育係として送られたのです。 しかしバルナバの手に追いきれるものではなく、 11:25-26 をみるとタルソから <サウロ> を連れてきて多くの人々を教えたのです。 そしてこの教会で弟子たちは初めてキリスト者―クリスチャンと呼ばれるようになったのです。 ここには <予言するもの教師たち>がいたと述べられています。 ですが通常当時の教会では <第一に使徒、次に預言者、次に教師> と序列をつけるのが普通です。 しかし使徒はここには誰もいません。 しかしそのアンティオキア教会こそこの初代教会にとっての大きな危機の時に、 人種、民族の違いを超えて、その違いを超えられたからこそ第一次伝道旅行を始動させたのです。

こう言えるかもしれません。 教会の対外活動、外国に向かっての伝道は、自分たちのことで手いっぱいな状況から、 たとえ二流三流の人材とその時は見られている人であっても、 そうした人材を生み出すことができる。 この人々は 13:2 <礼拝をし断食をしていた> だけです。礼拝と断食なら実は誰でもできることです。しようと思えば。

2節「さあバルナバとサウルを私のために選び出しなさい。 私が前もって二人に決めておいた仕事にあたらせるために。」

実は宣教とは、神の業です。多くの人はそうは思っていいない。宣教とは方法論。 総動員伝道だの、爆発する伝道だの、キリスト教本屋さんに行けばそうしたハウツーものの本が、 山とあります。そしてこれを実行して成功した牧師はやり手の牧師ですし、 宣教の成功は牧師の成功です。崇められるのは神ではなく、牧師の成功だったりするのです。 しかし宣教の成功はどこまでも神に帰せられるべきで、牧師が独占してはならないのです。

さてバルナバとサウルはキプロスに向かいました。

なぜサウルなのか。 彼は回心してサウルからパウロに代わったはずなのに…と思います。 しかし回心の実態が認められるまではサウルだったのではないかと思います。 キプロス島に東の部分で第一の町がサラミスで(5節) 西にある首都がパフォスです。 そこであったのが6節ユダヤ人の魔術師でバルイエスという人でした。 別の名を魔術師エリマと呼ばれて、 地方総督セルギウス・パウルスという政治家に取り入っていた。 政治家がしばしば怪しげな魔術師に取り込まれることはよくあることのようです。 かつてアルジェリア問題で混迷するフランスを救ったシャルル・ドゴールは 水晶占いに深く傾いていたことは有名ですし、それほど緊張を強いられる立場だったのでしょう。

人間の心はとてもかたくなで保守的で生活を変えてゆくこと、 蓄積した知識を捨てることを好みません。 戦後新しい憲法ができても、憲法改正に動きは、 憲法が施行されると同時に画策されてきたといってよいでしょう。 JOC会長の方もかつて政治家のとき 「日本は天皇を中心とする神の国」などということが平気で言われたりしてきたのです。

時に神は教会に命じて有名、無名にかかわらずその業を進めようとします。 神が教会を建てあげ、福音を伝えさせます。 あくまでこれは人間の業ではなく、神による、神の業なのです。 それは私たちにのべられたすくいの業も神によるものなのです。 神の聖霊は時に今の生活を変えられたくないと思う私たちにかたくなさを砕くのです。

同時に、あくまで、この時は初代教会にとって教会の存亡にとって重大な危機の時でした。 まさにこの時に当時無名に等しいサウル―パウロを用いて、伝道旅行として一挙に教会の文化、 つまり異邦人伝道を盛んにして、 ローマ帝国の隅々にまで教会を建てあげさせる大きな機会を作ったのです。

(2020年07月12日 礼拝メッセージ)


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