教会バザーのこころ

 今年も本日午後教会バザーを行います。毎年、 当然のことのようにバザーを行っていますが、実は大変なことをやっているのです。 チラシ配布ひとつとっても、みんなで協力して5千枚のチラシを手配りすることだって 大したことなのです。でも配った翌日にはチラシを受け取ったと言いながら 喜んでレスポンスして下さる方がいて、配ったかいがあります。 とはいえ毎年、手書きで素敵なイラストを描いてくださるOさんの努力も大したものです。 印刷してカットし、各家庭に届けることも、誰に強制されたからでなく、 いつの間にか残部はあるかないかのごくわずか。

 クッキーやケーキだって途方もないほどの数です。しかも評判はすこぶる良好。 ホームメイドのクッキーと工場で作った大量生産のクッキーは歴然とした味わいです。 そこには収益事業のためのクッキー作りと家族に喜んでもらえることだけが目的の ホームメイドのあまりにはっきりした<違い>があります。 そういうわけでこんなに作ってどうするの? と思うほどの大量のクッキーとケーキはすべて毎年完売です。

 今年も多くの方々から驚くほどの献品を頂戴しました。 バザーが近づくと宅急便でも一日にいくつも届きます。お礼状を書くのが大変なほどです。 心のこもった品々を見ていると、送ってくださった方々の思いが伝わってきます。 じつはバザーの翌週は召天者記念礼拝が行われます。 故人となった方々の思いと教会への思いがつながって、重なって、 それがバザーへの協力となっていることもあります。 ですからそうしたお品をお受けして厳粛な思いに打たれます。バザーは献品してくださる方、 調理や材料調達、献品を美しく梱包し直して売れる形に整える人、 手芸品やドライフラワーを製作する人、大量の雑貨品の値段付けをする人、 当日参加して売り子になってくださる人、当日の目玉商品の焼きそばを焼いてくださる男性。 そして何よりもこれを買ってくれる人。 こうした役割が上手に組み合わされてバザーが成り立っていきます。

 バザーをして利益を得るひとはだれもいません。 バザーは尽きるところみんなが主役なのです。バザーにおいてはキリスト者である人も、 そうでない人も同等です。長時間労せた人も、短時間労した人も、 労することができた喜びを共有します。売る人も、買う人も思いを交わすことができて幸せです。 おそらく教会のバザーといわゆるフリーマーケットとは同じように見えて、 全く別物なのです。教会のバザーではべつにもうける必要はないのです。 原点はイエスの前に導かれた人がともに喜び、心開いて、互いに慈しむ交わりに迎えられる。 確かにそれは礼拝とは違う場です。でもそこにはキリストの前にある精神・こころが 反映されているのです。そこはキリストの前に展開されていることには違いないのです。 午前は礼拝所、午後はバザー会場、光景はすっかり変わりますがまさに同じ空間。 同じ思いが行き交うのです。

(2015年10月25日 週報より)


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