今週は信徒執筆です

独裁者

大澤 信之    

 以前、子供礼拝でお話しを担当した時、 小学校低学年の人たちがお休みだったことがありました。小学校高学年と中学生だったので、 少しお話の内容を変えて、「独裁者」がどうして現れるのだろうかと考えてみました。 独裁者の例として、ナポレオン・ボナパルトを使わせて頂きました。 気に食わない方がおられたら申し訳ございません。今でもフランスでは、 ナポレオンは高い人気を保っていて、ペットに付ける名前に法律上の制限はもちろん無いのですが、 唯一例外があるそうで、「ブタ」に「ナポレオン」という名前を付けることはだけは、 初代フランス皇帝ナポレオンのイメージを損なうとして認められていないそうです。

 その後、ナポレオンの事に興味が湧いて、少しインターネットで調べてみました。 生まれ故郷はコルシカと言うイタリア半島の西にあるフランス領の島でしたが、 生涯この生まれをからかわれる事が多かったと言われます。 コルシカ語と言われるほど訛りが強いこともあったようです。陸軍幼年学校、陸軍士官学校と進み、 士官学校では花形の騎兵科ではなく、砲兵科で大砲を使った戦術を身につけ、 通常在籍期間が4年のところを11ヶ月という開校以来の最短記録で修了しています。 数学が得意で読書に明け暮れ、文学活動を通して小説家に憧れていた青年だったようです。 この頃、よく知られているようにフランス革命が勃発します。革命後はヨーロッパの君主国が 「対フランス同盟」を結び、フランスと争った混乱の時代です。その中でナポレオンは出世を続け、 フランス陸将、軍副司令官、国内軍司令官へと昇進した後は「常勝将軍」と言われ、 戦地からフランス国民の熱狂的な歓迎を受けてパリに帰還するようになります。 ナポレオン将軍は、兵士と同じ食事を取っていたとか、 疲れて眠りこんだ夜警担当の兵士がふと目を覚ますと、その兵士の替わりに、 将軍ナポレオンが夜警をしていたとか言う伝説が、 まことしやかに語り継がれてフランスでの人気は不動のものとなって行きました。 英雄ナポレオンの誕生です。そして35歳の時、国民議会と国民投票により、 皇帝の地位についたのです。ナポレオンは、各地で領主の支配や農奴制を打破し、 憲法と議会をおき、フランス式の行政や司法の制度を確立し、 フランスと同様の民法を移植していきました。

 そのナポレオンが、なぜ皇帝の地位を欲したのかと考えてしまいます。 国民はナポレオンを英雄として慕っていました。そんな英雄が戦争で負けることは、 許されません。常勝将軍は勝ち続けなければならないという恐怖心です。 少しでも失敗すると政治家に呼び戻され説明を強要されます。将軍になって間もない頃、 ナポレオンは、政治的な問題から降格処分で予備役とされた経験がありました。 政治のために忍ばなければならない努力や失われる時間は耐え難いものになっていったのではないかと思います。 政治家よりも戦争を知っている。政治でも自分の方が優れている。 私の方が先を見据える力がある。今の危機的なフランスの現実を、国民も政治家も見えていない。 このままでは、祖国フランスが危ない。人々は、私の言うことを聞くべきだ。 私の決めることを守るべきだ。私が皇帝になれば、祖国フランスは救われる・・・。

 人は崇められるようになると、自分が普通の人とは違うと信じ始めます。 このように信じ始めると、崇める人も崇められる人も狂いだします。 恐ろしい相互誤解の連鎖がナポレオン戦争を通じて200万人の命を失わせました。

 今の日本に同じような傾向を感じる事があります。リーダーシップの強い人を、 崇めたいと求めているように思うのです。戦争は、 経済的な安定と繁栄のためにならないと判っているのに、 攻撃が防御だから戦える軍隊が必要だという人に、決定権を預けようとしていると思うことがあります。ナポレオンもヒットラーも、国 民の選挙で独裁者に選ばれています。人に人以上のものを求めてはいけないのです。 聖書は、この人間の傾向や、時代の向きたがる方向を敏感に察知し、警告をならしています。 私たちは、この聖書の証人です。

「君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。霊が人間を去れば、人間は 自分の属する土に帰り、その日、彼の思いも滅びる。」(詩篇146篇3,4節)

(2014年09月13日 週報より)


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