寛容なイタリアの心にふれて

 イタリアをあちこちめぐり、最終的に長女のところを訪ね、 教会に戻ってくる旅行を今年もお許しいただいて様々な思いが交錯しています。 列車で移動し、わからないことは遠慮なくだれ彼を問わず尋ねまわるのが私たちのスタイルですから、 必然的に人々とかかわります。個人的な感想ですから、正しいかどうかは別ですが、 この10年でヨーロッパの空気はずいぶん変わってきたように感じます。 何よりも中国人、バングラデシュ人、アフリカ系市民の急増があります。 今回はバングラデシュの人々の飛びぬけた親日的な態度 (重い旅行かばんを棚から下ろしたり、列車から運び出してくれたり、アクセサリーをプレゼントしたり) 等など −と、中国系市民の、こちらの質問にも無視して答えないなど− 妙にしらけた態度が際立っていたような気がします。 (ハシモトさんやイシハラさんの発言のとばっちりを私たちが受けることは不当です。)

 正直に言って、イタリアも経済的にはかなりきびしい社会になりつつあるのに、 こうした海外からの労働者をかくもこころよく受け入れている姿にわたしは感心しました。 昨年、帰り際に寄ったローマも、今年も飛行機便のため立ち寄ったミラノも、 町の一角はチャイナタウン化していると見えるほど、中国の人々の急増がありました。 ヨーロッパの町が、あたかもヨーロッパとは見えないほど、アジア・アフリカの人が増え、 そうした外国人が親子で会話するのに、多くの場合、 母国語ではなくイタリア語で話しているケースが非常に多いのです。 つまり彼らはイタリアに永住し、子供たちをイタリア人として教育しています。 その結果、本家本元のイタリア人が、 ドイツなどのヨーロッパ北部に出稼ぎに行かざるを得ない状況が生まれています。 列車で会ったバングラデシュ人は、 「本当は日本に行きたかった。でもイタリアでは年限を重ねれば、 国籍が認められるけれど、日本はあまりに壁が高いので、無理でした。」

 とは言うものの、わが子は、そのイタリアでシェフをしています。 今回初めてミラノから1時間ほどのピアチェンツァ市の郊外にある Antica Locanda del Falco に娘を訪ねることが出来ました。 ここではさすがに外国人はわれわれ以外には見られません。 レストランはリバルタ城の一角に、教会と城に面しており、 建物内と屋外のかなり広い藤棚の下での夜8時半頃からの食事は、 ワインの香りも重なって、幻想的な雰囲気です。 70名から80名ほどの人々がミラノあたりからも食事に来ます。 その食事を長女の百合香と将来を誓い合っているトモ君との二人が、 パートタイムのワーカーのイタリア人の方々をまとめながら、 シェフとして必死に取り仕切っていました。 ここのオーナーシェフの美しいサブリナさんは、 厨房の指揮を、二人に委ねきって、 側面から当然起こりがちな若い日本人によるレストラン経営への違和感を乗り越えて今があるようです。 このトラットリアの始まりは、 地元の人々のための食事を提供することが始まりで、 昼食にはこのファンシーなレストランに似合わない ゴム長をはいた農作業姿のおじさんたちが次から次に集ってきて、 プリモとセコンドにビールとドルチェをつけて なんと11ユーロで食べるメニューを用意しているのです。 このあたりがまたイタリアの心の広さを深く感じさせるところです。 この人々は喜んで毎日食べに来るとのことです。

 ピアチェンツァは日本からも遠くありません(!!) ミラノまでは飛行機で、ひとっ飛び。ミラノからは列車で1時間弱。 駅からはタクシーで15分ほど。 ホテルもレストランの脇の城ホテルは、息を呑むほどすばらしいようです。 (私たちが泊まったところはクロアラ・ヴェッキオという名のアグリツーリスモです。 トレビア川に面して、美しい広大な芝が広がって、時間が止まったように本を読むには絶好の場所です。) 意欲ある二人の日本人の若者に十分な家と活躍のチャンスを提供してくださったサブリナさんに深く、 深く感謝しながら、日本もこうした寛容なイタリアの人々の生きかたを学ぶ日が いよいよ近づいているような気がします。 アジア、近隣の人々といっそう身近な交わりを深めねばとおぼえました。

 

(2013年07月07日 週報より)


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