記憶する文化

 皆様のお許しを戴いて、娘の働いているレストランホテル Il Pellicano を訪ねるとともにドイツのベルリンと近接しているライプチッヒ、ドレスデン、 ヴィッテンベルクを訪ねさせていただきました。いずれもルターとバッハと1989年のドイツ統一、 自由化と密接にかかわりあう場所で、 昔で言えばドイツザクセン地方といわれるドイツ文化の心臓部を作り上げた町々、 あこがれの夢がかなった訪問でした。よくドイツ料理はまずいという人がいますが、 伝統文化には間違いなくおいしい料理も備わっています。 そのうえドイツでの食事は決して高くありません。 (われわれが行くところはですが)特にライプチッヒは心に残りました。 ここには大変有名な二つの教会があります。トマス教会とニコライ教会です。

 いずれもあの大バッハがカントール(音楽監督)を務めた、 壮麗な礼拝堂を有する素晴らしい教会です。 9月2日の主日礼拝は9時半からトマス教会の礼拝に出席し、 続いて11時からのニコライ教会の礼拝に出席してしまいました。 いずれも素晴らしい礼拝で、感激のあまり教会に忘れ物をしてしまうほどわれを忘れる経験でした。 ドイツの教会は出席者が少なくガラガラだとばかり聞いていましたが、 トマス教会ではその日の礼拝は4人の1歳から4歳くらいの子供たちの洗礼式が行われ、 いわゆる内陣にはその家族が正装をしてぞろりと詰め掛けており、 教会堂は満堂の出席でした。石造りの巨大な会堂には後方とサイドにオルガンが設置してあり、 天上からオルガンの音が降り注ぐようです。賛美歌もいつも私たちが歌っている讃美歌が多く、 主の祈りがあり、使徒信条が唱えられ、違和感はさほど感じられなかったのです。 じつは毎年トマス教会の聖歌隊が受難週ころ東京に来て、 マタイ受難曲のコンサートを行っており、 例年これを聞くことが私たち夫婦の楽しみの一つでもあります。 ですからなんとなくトマス教会に親しみがあったといえます。 でもやはりあの有名なバッハ像を前にして、 そして教会のサンクチュアリーには堂々としたバッハの墓が設置されているその場に 身をおく幸せをふつふつと感じたのです。

 そして、わたしたちは宗教改革の中心地ヴィッテンベルクの二つの教会も訪ねたのです。 一つはルターが95か条の提題を掲げた城教会、 そしてもう一つがかつてマルティン・ルターが説教したシュタットキルヒェ・マリエン教会です。 残念ながら修復作業の中で、木枠にかこまれてきちんと見ることが出来なかったのですが、 ここには重大な意味を持つ彫刻がおかれています。 その彫刻とは3匹の仔豚に乳を吸わせている牝豚の後方からとがった帽子をかぶった下卑た小男が 豚の後足を持ち上げている彫刻があります。実はこの小男は15世紀のユダヤ人です。 あろうことにこうしたユダヤの豚と称される彫刻が ユダヤ人への侮蔑の象徴としてドイツ各地の教会におかれ、 ここマリエン教会において1983年つまり東ドイツ時代になお保存されて、 青年を中心としてこのユーデンザウ(ユダヤの豚)といわれていた、 誰の目にも止まらない彫刻を放置すべきではないという声が受け入れられ銘板が作られたのだそうだ。 このことの意味するところは小さくありません。

 1517年の<宗教改革>というルターによる教会改革の最中で、 こうした堂々たるユダヤ人差別がしかも教会で行われていたことは重大な意味を持ちます。 ナチスによるユダヤ人迫害をどう記憶にとどめるかが現在のドイツでどれほど真剣なのかはどの町、 どの場所においても深く印象付けられます。 この点慰安婦問題も南京事件もなかったとする日本の状況とはあまりにも違い状況があります。 それにしても宗教改革のというか教会の存在にかかわるこうした像が、 あろうことに教会の中に堂々と、少なくも500年も全国でおかれ続けた意味は小さくはありません。 そうした思想がいつの間にかユダヤ人600万人殺害というナチの蛮行に手を貸したとさえいえるでしょう。 だからこそ、これを記憶しようとする現代にドイツ人のあり方に教えられます。 そして、それが歴史解釈についての日本との明らかな違いを作り出していること にあらためて気づかされるのです。

(2012年09月09日 週報より)


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