今週は信徒執筆です

歴史の神

大澤 信之    

  この一ヶ月ほど、子ども礼拝の後のジュニアクラスでは創世記のヨセフ物語を 一緒に考えて来ました。ヨセフ物語と言えば、兄弟たちにエジプトに身売りされ、 奴隷の身分から、幾多の試練を乗り越えて、ついにはエジプトの宰相にまで登りつめる サクセス・ストーリーのように考えてきました。ヨセフがエジプト王の夢解きにより、 7年間の豊作に続く7年間の飢饉に備え、エジプト全土に豊作分を備蓄した事で、 飢饉に陥ったイスラエルの兄弟たちがエジプトに食料を求めてやってくることで クライマックスを迎えます。この部分は創世記45章になりますので、 創世記は全体で50章であることと、残り5章の内容を考えると、 創世記の締めくくりの言葉のようにも聞こえます。

「しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。 神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」 (創世記45:5)

 ヨセフはこの結論に達するまでに、何度か兄弟たちをイスラエルに帰しています。 兄弟たちに対する気持ちを整理するために必要な行動だったのかも知れません。 しかし、ついにヨセフは、上記のように兄弟たちに語りかけるのです。 このヨセフの言葉は、

「歴史を動かしているのは、神様なのだ。」
と言う信仰の告白のようにも聞こえます。創世記の語る結論がそうであるならば、 創世記の最初の印象深い言葉
はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)
は「この世界は偶然に始まり、偶然に終わる」と言う考え方に強烈に 反対しています。

 この世界は、神が創造された。決して偶然の産物では無い。そして、 私もあなたも偶然に存在しているのでは無いし、私やあなたの存在が、 居ても居なくても世界は変わらないという事でも無いし、 私やあなたの替わりは幾らでもいるのでもない。 あなたも私も「唯一無二の存在」であり、 あなたも私も「存在する理由がある」と言う主張です。

 創世記の主張は、「はじめに天地を創造された神は、歴史を動かす神である」 と宣言しているように聞こえるのです。

 1年前の今日、私たちは未来を予測し対処することの難しさを知りました。 私たちが過去から未来を類推するには、過去の情報量が少なすぎるのですし、 それ程に過去を学ぼうとしないのです。私たちは、 今起こりくる出来事に精一杯対応することしか出来ない程に、 小さな存在なのかも知れません。

 それでも聖書は、一人一人の人生に意味が有ると宣言します。 それでも聖書は、私たちには予測することの出来ない歴史を動かすのは、 神様だと宣言します。そして聖書は、この唯一無二の一人のために、 イエス・キリストは十字架に架けられたのだと宣言するのです。 「神は命を救うために・・・・わたしをつかわされたのです」

 今日、聖書が語りかける言葉に静かに耳を傾けたいと思います。

(2012年03月11日 週報より)


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