今週は信徒執筆です

神の選びの中で

原田 孝雄      

 今回、何について書いたら良いのか、全く思いつかず悩んでおりました。 2週前の礼拝においてサムエル記が朗読されましたので、 サムエル記について思いつくまま (かなりの部分は参考書を見ながらになると思いますが) 記してみたいと思います。

 まず、なぜサムエル記なのかということですが、 実は我家にはサムエルという名前の猫がいます。通称サム、 キジトラの2歳の男の子です。サムエル記からその名前をもらいました。 彼はT家の庭先を縄張りとするキジトラ一家の3男坊でしたが、 T家に保護され、養子として我が家に来ました。 その時は片手に乗る程の小さい子でしたが、大きく育ち、 今では元気に家の中を飛び回り、私たちの息抜き、リラックス剤、 かけがえのない家族となっています。

 さて、サムエル記ですが、サムエルは士師の時代 (イスラエル民族が約束の地に移住し、最初の約300年) からイスラエルが王政に移行した時代の人です。士師の時代は、 必要に応じて神が祭司を選び、救いをイスラエルにもたらしていました。 サムエルはその最後の祭司であるとともに、 初代の王サウルに油を注ぐ最初の預言者として活躍しました。 つまり、士師時代と王政時代を結びつける重要な人物だったと言えます。 サムエル記はこのサムエルの活動から始まり、 初代の王サウルの選びとその王国、そしてダビデの王政が記されています。 サムエル記の後の列王記で、 ダビデの王政からソロモンの王政へと引き継がれていきます。

 サムエル記のキーワードは「選び」です。 祭司エリの元で主に仕えていた少年、サムエルを神は選び、祭司とします。 このサムエルを通して、神はイスラエルの初代の王としてサウルを選びますが、 当初のサウルの謙遜は、その成功とともに高慢へと変わって行き、 神を捨ててしまいます。そして、サウルが神を捨てた時、神もサウルを捨て、 ダビデを王として選びます。このダビデによって王国は確立し、 アブラハムに約束された神の言葉が実現していきます。 サムエル記の記者は初代王サウルが何故神から捨てられたのか?又、 ダビデがサウルにも勝る罪を犯しながら、 なぜ神の選びの中に居ることが出来たのかを告げています。 サウルが真の悔い改めをしなかったのに対し、ダビデはあの殺人罪、姦淫罪、 その他を犯したにもかかわらず彼が神の前にひれ伏し、 その罪を悔い改めたことにあったと記しています。

 日々の生活を送る中で「神様に守られている!」 と感じることがありませんか。私達も神様によって選ばれた存在なのです。 私達が神様の選びに預かっているのは、私達の努力ではなく、 神様の一方的な恵み以外の何ものでもないということは、 礼拝のメッセージによって再三語られてきました。 罪深い私たちですが、ダビデのように真摯に神様に向き合い、 神様の選びの内に留まりたいと願います。

 私達は小さく、無力な存在ですが、神様の選びの中に留まり、 神様に望みを置くことによって大きな力を得ることが出来るのではないでしょうか。 震災、原発事故等で本当に大変な状況ですが、 神様に望みを置き進んで行きましょう。

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」 イザヤ40:31

(2011年10月09日 週報より)


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