今週は信徒執筆です

「闇の中で考えたこと」

大澤 信之    

 夜寝ていると、遠く地の底から響くような地鳴りが聞こえてきます。この音が聞こえてくると直後に強い地震がやってきます。これを毎晩何度も繰り返す、これが震災した日から今も続いています。

 私の居る土浦は震度6強でしたから、震源に近い地域はこの程度で済まされたわけが無いと思います。

 3月11日は千葉県船橋市に出張中で震災にあいました。土浦に戻る途中で日が暮れました。停電だから周囲は真っ暗で、車のヘッドライトだけが光っている異様な光景です。帰宅しても食べ物が入手出来るはずがないことに途中で気づき、薄暗く電気が点っているコンビニを見つけてレジに並びました。店内は並べられていたガラスビンがガラス製ドアを割って全て床に落ちて割れたため、強いアルコール臭が漂っていました。棚もいたるところ倒れたままになっていました。

 帰宅するまでに何時間もかかると考えると、電池残量がほとんど無い携帯電話用に車充電可能なアダプタがどうしても必要でした。おにぎり、パン、カップメン等は売り切れで煎餅を一緒にカゴに入れて並びながら、レジの様子を見ると停電用緊急電源でレジを動かしていることが分かりました。こんなに被害が大きいのに開店していることに感謝しながら、それでも早晩使えなくなると思って並んでいました。

 しばらくすると案の定、電源が尽きて、店内は暗闇の中にカゴを抱えながら長い列を待つ状態になりました。時折通り過ぎる車のヘッドライトの光が店内を照らし出します。店長と思しき人が、電源が最終的に切れてしまったこと、並んでいるお客様はカゴを床に置いてそのまま店の外に出て下さい、後は店員で片付けますとのアナウンスがありました。私は家族と連絡が取りたくて、携帯電話用に充電器だけは何とか購入したいと願っていました。そのせいかも知れませんが、カゴを床に置こうとしたその瞬間、頭の中で声が「盗っても判らない」と響きました。その声は早口でありながら耳元ではっきりとしていました。カゴを床に置きながら、体がゾクッとしました。昔の人も同じような経験をして、「悪魔の声」という表現をしたのかも知れないし、主の祈りに「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」と祈る必要が良く分かったように思いました。

 計画停電で町が暗闇になった経験をした方が多いと思います。それでも多少の光はあるから、自分の前に手の平を持ってくると何とか認識出来ます。釜石鉱山の坑道深く入った時「漆黒の闇」を経験したことがあります。目の前に黒い壁があるような圧倒的な感覚だったのを覚えています。このプロジェクトは、当時の動燃(動力炉・核燃料開発事業団)と文部省がお金を出して「地震予知」と「使用済み核燃料廃棄場所を決定するための根拠探し」をするためのものでした。核廃棄物をどの様な場所なら廃棄しても耐えられるかという根拠を定義付けるために、地震予知に使用する機材を使って、地震のときに鉱山のなかがどれほど大丈夫かを測定して数値化しようとするものでした。必ず発生する核のカスを捨てる方法が判らない状況で、既に原子力発電は行われていましたし、新たに発電所の建設もされていたわけです。見切り発車だった訳です。

 今回の震災による福島原発事故の扱いは、新聞によって随分違うと思います。ある新聞は、災害は想定外の力が及んだための出来事で、これから行うべき事は、原発の安全性をより高める事であって、ドイツのように原発を減らそうとする動きは現実的ではないと言います。現実的でない根拠、その1は既に日本全体の電力の1/3は原子力だからであり、その2は火力発電では地球温暖化を止められないからだと言います。ある新聞は、原子力発電が無いと今回の計画停電以上の不都合を国民が受けることになると、脅迫まがいの文章まで書いてあります。

 確かに、「想定」という不確かな土台の上に「安全」という建物を建ててそこに住む以外の方法は無いかも知れません。しかし、想定(土台)が崩れたときに及ぶ被害が想定出来ない事業は行うべきではないと決断するべきです。私たちがこの地震で今も経験していることは、原発被害の対処方法をどうしたら良いのか判らないという事実です。

 ものは言いようで、まだ日本では1/3しか原子力を使用していないとも言えます。火力発電に変わって風力も太陽光も利用できます(ドイツでは風力発電用の大型風車が本当に沢山建設されています)。もちろん人の行うことは全て不十分で、何にしてもリスクが付いて回ります。原子力発電は安全を最終的に確保出来ていない、火力発電は温暖化、風力発電は低周波振動の地域住民への健康被害、太陽発電は効率の悪さに伴う廃棄公害が考えられます。この中から解決も管理もできないものは行わないとする素直な決断が求められています。

(2011年03月27日 週報より)


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