試練のときに

 この2月という月は、受験生にとって試練のときです。この節目のとき、 人生模様のある方向性が決まっていく(無論すべてではありません。) 変化のときでもあります。また、中高年のベテランサラリーマンにとっては、 会社生活に区切りをつける方々も多いはずです。また今年は超就職氷河期で、 卒業を前にまだ就職が決まらないという大学生も半端な数ではありません。 進学、就職、転勤に定年。人生には様々な区切り、節目そして曲がり角もあります。 スムーズに次の局面にすすむことが出来ればそれに越したことはありません。 でも、そうでないケースも人生には限りないほどあります。節目を辞書でひくと  @木材や竹などの節のあるところ A物事の区切り目 とあります。 とくに、ひとは時間の流れと共に成長するというより、ある危機の中で、 問題に直面して、もがき苦しむ経験の中で節目(ふしめ)、節目(ふしめ)を 作るたびに成長してゆくともいえます。旧約聖書のイスラエルの歩みは、 直線的な、優等生の歩みとは程遠く、数え切れないほどの曲がり角を曲がった人々でした。 40年にもおよぶ砂漠放浪の毎日は、渦中においては、 そこに何の意味も見出せない無意味な日々としか思えないときだったでしょう。 しかし人々はそこで神から十戒を与えられ、神の民として整えられました。 むしろ、乳と蜜の流れるはずの約束の地に導きいれられてから、 神の民らしさは薄れて士師時代の混乱を経験したのです。 砂漠の放浪の日々は無意味に見える遠回り、まっすぐ歩むあゆみからすれば、 曲がり道にしか見えません。けれどそこでこそ人々は神に出会い、 厳しい困難つらいトラブルの中で自らの限界に直面し、神を仰ぎ、成長していったのです。

 2月、3月、4月は門出のときであると共に、曲がり角を曲がるときでもあります。 新しい生活が始まる前に、曲がり角を曲がるターニングポイントなのです。 その節目では、労苦と、自らの限界、弱さに直面し、 つまり自分という存在を見つめなおすときでもあります。 ですからこの時期多くの人は不思議に<宗教的>になります。 人生に真剣になるからです。安心、安穏、安閑、安楽、安逸・・・ ひとは<平安>であるにこしたことはありませんが、<安逸>がすべてではありません。 人生には、様々な、遠回りや曲がり角があるコトをわたしたちは覚えるべきです。 人生に関するかぎり<安全保障>などありえないでしょう。 むしろ〔まわり道〕や〔曲がり角〕をかけがえのない人生の転機としてくださる神を 仰ぐべきではありませんか。

 人にはいつも課題があります。もっと楽をしたいと願いつつ、 課題から解放されることはありません。しかし中には、課題なのに、 これを自覚しないで、安逸を選ぶという方向もあります。でも課題に向き合い、 回り道や、曲がり角を不安を抱えながら歩みにこそ、神の目が注がれます。 <約束の国・乳と蜜の流れるところ>に入国したイスラエルの民が、 神からも卒業して、暗黒の極みに落ちた歴史は、人の歩みにもつながります。 試練と緊張の中にこそ神はおられるし、人もそのまなざしを感じ取ることができます。

(2011年02月06日 週報より)


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