ヴァンクーヴァー・オリンピック

 カナダのヴァンクーヴァーで行われた冬季オリンピックが今日終わります。 種目によっては夜も寝ずにテレビ観戦した人もいたかもしれません。 私はオリンピックにも、ウインタースポーツにも詳しくありませんから、 さして関心があったとはいえません。 真央ちゃんーキム・ヨナさん対決も見ていないのです。 ただ、今回のオリンピックに関してニュースや新聞を見ながら、 わたしなりに印象付けられたひとつのことがありました。

 オリンピックは国家の目から見れば、当然国威発揚の絶好の機会です。 これを最高度に利用したのがベルリンオリンピックを開催した アドルフ・ヒトラーだといわれます。 聖火リレーもヒトラーが始めたものです。 1998年に長野で行われた冬季オリンピックでは、多くの日本人の期待を背に、 金5、銀1、銅4のメダルを獲得しました。 <期待出来た>と言うことは、ある一定の成算が可能だったと言うことです。 そこで大会委員会は特にメダル獲得が有望視されていたジャンプ日程を 2月11日に設定したのです。 つまりこの日は、今では建国記念日とされているこの日。 教会では〔信教の自由を守る日〕です。元来は、かつての紀元節。 つまり日本書紀に述べられる初代天皇―神武天皇の即位を記念する日なのです。 この日になんとかして日の丸を掲げたい。 そうした意図がこめられていたといわれます。 そしてこの日、 ジャンプの船木和喜選手が銀メダルを獲得して日の丸が揚がったのです・・・・。

 ところで今回のオリンピックです。 真央ちゃんや安藤美姫選手のコーチはいずれもロシア人で、 しかもコーチ同士が師弟関係にある人々だというではありませんか。 キム・ヨナ選手のコーチはカナダ人です。 アメリカ代表で出てきたお嬢さんはどう見ても日本人です。 じつはご両親はロスでおすし屋さんを経営する日本人だと伝えられました。 彼女はいま輝く16歳で、米国籍と、日本国籍を持つ、れっきとした日本人です。 でもアメリカ代表選手です。 逆に日本代表で出てきたアイス・ダンスの姉・弟はとうてい日本人とは見えない風貌です。 インタビューでも彼らの日本語はかなりアヤしかったのです。 一人の選手を育てるために、国境を越え、文化を横断して、協力が行われます。 オリンピックにおいて、 もはや一つの民族・国籍で争うことなど意味を成さなくなりつつあります。

 使徒パウロは教会をからだにたとえました。 人それぞれは体の一部であり、ことなった器官に過ぎない。 でも、お互いに教会共同体という<からだ>を構成する大切な存在と書きました。 世界は20世紀の半ばを過ぎても帝国主義と植民地主義を色濃く温存していました。 人々はいやおうなく支配と隷属、勝者と敗者に色分けされ、 そこには人種差別が当然のように存在したのでした。 つまり共同体は遠い現実でした。 しかし教会は最初から共同体を目指しました。 人種主義も、階級差別も超えるきっかけを持っていました。

 いまや世界のあちこちで、国や文化を超える共同体が作られ始めています。 信仰共同体である由木教会でも<ナニ人>が問題なのではなく、 誠実なキリスト者として、<神と人の前にいかにあるのか>が問われます。 長女がイタリア、ピエモンテ州トレイーゾのレストランに帰りましたが、 レストラン・スタッフはイタリア人、日本人、フランス人、ポーランド人、 モロッコ人、ペルー人という多国籍にわたっているそうです。 言葉、習慣、肌の色、性格が違えば、もめ事、対立も起こりうることです。 でも違っていても一つになれる、共同体を造っていけるとしたら、 違いは共同体をいっそう豊かにすることが出来ます。 今回のオリンピックはまさに人類共同体を実感させる機会になったと思いました。 そろそろオリンピックで国旗掲揚を止めてくれないかなあ。 あの表彰台に立つための大変な訓練と努力は、 これに耐え抜いた若者達が受けるべきものだから。

(2010年02月28日 週報より)


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