(12月29日・朝日新聞よりー原文のまま)

<やさしい医学レポート>  依存症患者の心の癒し(東北大学教授 坪野吉孝)

『 筆者はかつて大量飲酒者だったが、約10年前、苦しい状況で思わず祈りの言葉を口にした時、 急に世界が明るく開けて感じる一種の神秘体験をし、以来アルコールを全く口にしていない。 それ以前にも意志の力で酒を止めようと何度か試みたことがあるが、2ヶ月と続かなかった。 だから自分の意志以外の力が働きかけたとしか思えなかった。

 自分の身に起こったことを理解しようと文献に当たるうちに出会ったのが「依存症と恩寵」(2007年再刊)だ。 著者ジェラルド・メイ(1940−2005年)は米国のクリスチャンの精神科医。 ベトナム戦争従軍時には武器の携行を拒否して患者の治療に当たったという。 その後臨床を離れ、禅を含む超教派の立場での霊的指導と著作に専念した。

 本書の中に一人のアルコール依存症の男性の話が出てくる。 「ある日雑貨屋に行くのに道を歩いていたんだ。 そしてそこの歩道のところで、心の平静さを見出したんだ」

 男性は長年アルコール依存症を患い、その日も他の日と変わりはなかった。 けれどもそのシンプルで不思議な瞬間に男性は変えられ、それ以来酒を飲むのを止めたという。

 男性自身はこの体験を宗教的な言葉で語らない。 しかしメイの臨床経験によれば依存症でまれにこうした特別な癒しが生じる。 「神の愛が奇跡のようにわたしたちを突き抜けることがある」という。

 筆者の飲酒癖が精神科的に依存症の診断がつくものだったかどうかは分からない。 けれどもこの男性の話を読んだ時、自分の身に生じたことがよく分かった気がした。

 メイは各種の依存症(酒、薬物、仕事、家族、人間関係など)を、 神ならぬものを自分の神としてあがめる偶像礼拝になぞらえ「現代の聖なる病」と呼ぶ。 依存症の癒しには、薬物や心理的治療にとどまらず、神の恩寵が必要なときがある。 むしろ、人は依存症の経験を通し、人智を超えた神の愛の恵みに触れることがあると彼は主張する。

 心の癒しは、通常の医療とは別の形で生ずる場合がある。 そのことは患者には希望を、医療者には謙虚さを、もたらすものだろう。  』

 以上が新聞記事の全文です。 文中に引用されているアメリカ人精神科医メイという方はクリスチャンドクターですから キリスト教的な視点での分析は深く納得がいきます。 ともかくあらゆる依存症は特に現代を蝕む心の病で、 しかもこれから決別することは本人の努力だけでは、如何ともしがたいものです。 はかりしれない癒しの力に目を向けない手はありません。

(2010年01月03日 週報より)


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