今週は信徒執筆です

願う事

 佐々木 喜久子           

  今日8月9日 由木教会では平和主日の札拝が行われました。 その最初に歌った賛美歌、372番 「幾千万の母たちの」の作曲者の名前が "大中恩"(1924-)と記されてありました。 私が40年近くコーラスの指導を受けている先生のお名前です。

 このコ―ラスグル―プの名前はコールグレースといいます。 作曲家である指揮者の大中先生の曲しか歌わないといぅ特徴を持つ女声合唱団なのです。 ですから大中先生の曲が大好きと言うことがメンバ―である事の大前提となります。 先生の音楽学校在学当時につくられた曲、 以来現在に至るまで60数年に及ぶ期間に作曲された数多くの曲を感動に満たされて歌い続けてきたのです。

 1週1度の練習に出かけるときの鞄の重さたるや大変なものです。 先生がこの曲といわれると素早く鞄の中から楽譜を選び出すことも習得しなければならない技術なのです。 (このところメンバ―の高齢化がすすみ持っていく楽譜の軽量化を先生に陳情しているのですが・・・。) 先生のお気持ちしだいで作曲された年代に係わりなく指示された曲をほぽ正しく歌うことが求められます。 でもやほり回数多く歌う曲は決まってきます。 知らないうちにそれらの歌は言葉 (歌詞)も身についてしまうようです。

 近くの公園に散歩に行ったときふと見上げると桐の花がいっぽい・・・。 口をついてでてくるのが "こぼれほつ 桐の花よ" と。 スミレを見ればスミレの歌。乗鞍へ行った時には  "あ、あ、乗鞍 あの影はわたりどり" と。 景色を見、ある心情を感じたとき頭を通さないで口から歌となって出てきます。

 私の教会生活、常に熱い心を持ち続けているかと問われると返答に困ってしまう部分があります。 日々あまり意識せず暮らしている。と言うところが実際のところでしょう。 日曜が来れば余程のことが無い限り礼拝は欠席しません。 そして牧師の説教はできるかぎり正しく理解しようとつとめます。(私の能力にみあった程度に。) そして言葉どおり主にある兄弟姉妹とともに心をひとつにして祈るときに そこに自分も集っていることの喜びが込み上げて来るようです。

 私は歌が口から時に応じて飛び出して来るように日々の積み重ねにより 神様が望まれる言動が時に応じてほとぼしり出る日を願うのですが。

(2009年10月04日 週報より)


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