今週は信徒執筆です

「由木キリスト教会しか知らない私・・・」

水野 清           

 私はここで洗礼を受けまして他の教会を知りません。しかし、由木キリスト教会のように、 こんなに穏やかな日曜礼拝をしている教会はここだけなのかもしれない、と、思うようになったのです。 それはジョン・グリシャムの「最後の陪審員上下」というくだらないエンターテインメントの小説を読んだからです。 さて、この小説の主人公の独白のはじまりです。

私はフォード郡(アメリカ南部)にあるすべての教会のリストを作成した。 ぜんぶで88軒あった。プロテスタントは、基本的に以下の点では意見の一致をみている。 (1)イエスは神のただ一人の子であり (2)処女より生まれ (3)生涯ずっと完璧な暮らしをし (4)ユダヤ人から迫害され、ローマ人によって十字架に掛けられ (5)死後三日目に復活して昇天した。 さらに(6)天国にたどりつくためには、人は洗礼の儀式と信仰によってイエスに従わなければならない。 が、ここはさまざまな変種もある。

1974年、わたしはフォード郡の教会のすべてを訪れるという壮大な叙事詩的冒険の第一歩を踏み出した。最初に訪れたのは、カルヴゥアリー・フル・ゴスペル教会。街から3キロ以上離れた砂利道沿いの、にぎやかな会衆があつまるペンテコステ教会である。礼拝は10時半にはじまった。私は信徒席の最後列に席をとった。私はあたたかな歓迎を受けたし、まぎれもなく初めての訪問者がいるという話はすぐに広まっていた。説教師ボブは白のスーツに濃紺のシャツ、白のネクタイを締めて、たっぷりと生えた漆黒の髪をうしろに撫でつけ、うなじのあたりできっちりとまとめて固めていた。ボブが声をあげはじめると、人々が大声を出しはじめた。ボブの独唱の間、人々は両手を高くかかげてゆらゆらさせ、叫び声をあげていた。1時間後にようやく説教が始まった時には、私はもう引き揚げたくなっていた。説教は45分におよび、聞きおわったときには頭が混乱して身体が疲れきっていた。ときおり人々が床を踏みならし、建物がゆれた。人々が魂に打ち負かされ、天に向かって雄叫びを上げると、窓枠のなかでガラスがびりびりと震動した。説教師ボブが、なにやらよくわからない病気に悩まされている3人の患者に“手をおく”ことをすると、3人は病気が癒えたと主張した。途中でひとりの教会執事が立ち上がり、驚くべき派手なしぐさを見せながら、わたしがきいたこともない言語でなにやらしゃべりはじめた。執事は両手の拳を握りしめ、目をぎゅっとつぶり、一定の調子のながれるような声でひたすら言葉を口からほとばしらせていた。演技ではない・・・なにかの芝居をしていたわけではなかった。数分後、聖歌隊席でひとりの少女が立ち上がり、執事の言葉を英語に翻訳しはじめた。それは、神が執事を通じて送ってきた啓示だった。集まった者の中には、罪を背負いながらも、いまもってその罪を赦されていない者がいる、とのことだった。「悔い改めよ!」説教師ボブが怒号すると、人々がいっせいに首をすくめた。

もし執事がしゃべったのがわたしのことだったら??こっそりと辺りを見回したが、教会の扉には鍵がかけられ、前には先の執事とは異なるふたりの執事が番人として立っていた。やがて、人々がようやく精力をつかいはたしてきた。席に腰を下ろしてから3時間後、私は逃げるように教会の外に走り出た。一杯のみたくてたまらなかった。

 ああ!これが由木キリスト教会だったらどうしよう!説教師ボブが小枝牧師だったら、俺はこうして日曜礼拝にこられるだろうか?私はとっとと逃げ帰ったに違いない。なにしろ由木キリスト教会しか知らない私なんだから・・・・

 それから毎週、あちこちの教会に足を運んだ。サーストン・スモール牧師の2時間12分の説教も聞いた。(すべての説教の所要時間を計っていたのだ)最短の説教はキャラウェイのユナイテッド・メソジスト教会でのフィル・ビッシュ牧師による説教で17分間だった。(これでは小枝牧師の目をぬすんで居眠りするには短すぎるかも?)

 こうしてフォード郡にある教会のすべてが紹介されていくのです。

 マラナサ・プリミティブ・パプテスト教会は、山の麓の小川のほとり、すくなくとも樹齢二百年にはなるピンクオークの木立の下にある宝石のような教会だった。教会は小さな白い木造の建物で、急勾配のブリキの屋根があり、赤い尖塔は余りにも高く、ピンクオークの葉に隠されてしまっていた。正面の扉は大きく開け放たれ、礼拝を求める者すべてを、わけへだてなくさし招いていた。

 こんな教会を小枝牧師と黎子先生にプレゼントしたいな、神様、いかがでございましょうか?

(2009年06月14日 週報より)


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