クラウス・バルビー

 先日「敵こそわが友」と題する映画を見てきました。クラウス・バルビーという人 の生涯を克明に追ったノンフィクション映画です。クラウス・バルビーは1913年生ま れ、ヒトラー親衛隊中尉でリヨンの屠殺人と呼ばれ恐れられた人物です。ナチ支配下 のフランスのリヨン市で数千名の虐殺及びアウシュビッツに移送し、レジスタンス運 動参加者に残虐な拷問を課したことで知られた冷酷な人物です。クラウスバルビーは 結局1991年まで生き延びて、最後にはフランスの獄中で亡くなっています。ですから 単に過去の人物と片付けることは不可能です。映画のなかで、この人へのインタ ビューが数多く織り込まれております。外見だけで見れば特に戦後60年代の風貌は、 イギリスの俳優アンソニー・ホプキンスを髣髴とさせる穏やかな落ち着いた紳士を感 じさせますが、その内面は死ぬまでナチであることを捨てるどころか、南米で崩壊し たヒトラーの第三帝国を再興して、第四帝国を最後まで実現しようと企んでいた恐る べき人物であったことが明らかにされます。

 クラウス・バルビーはアイヒマンを上回る行動力と影響力を持って、戦後もあちこ ちで活躍した人物です。ナチに深くかかわった人々は戦犯裁判で一掃されたと考える のは誤りのようです。じつは誰がどう見ても第一級の戦争犯罪人であるバルビーはド イツ敗戦と共に、アメリカ陸軍情報部(CIC)の工作員として保護され、雇われて戦 犯訴追を免れるという離れ業が行われるのです。戦後西ドイツ政府が組織した対ソ諜 報網にも、バルビーはそのメンバーとして参与し、同様な元ナチの人脈が堂々と活躍 の場を与えられたことが知られています。しかしバルビーの身元が徐々に周囲に判明 してきます。フランス政府がバルビーの身柄引き渡しを要求します。するとバルビー は<クラウス・アルトマン>なるパスポートを発給されて、1951年バルビーは一家と 共にボリビアに移住を許されるのです。中南米はドイツ移民も多く、戦後アメリカの 反共政策に賛同する軍事独裁政権が次々に生まれます。ボリビアも当時はその一つ で、バルビーはその後、徐々に政府に取り入って、男女の区別なく、反体制派と見ら れた人々に、かつてのリヨンで行ったように仮借ない拷問を加え、恐れられます。ボ リビアの山中で最後を迎えたチェ・ゲバラの殺害もバルビーの深い関与があったとい われています。バルビーはヒトラーの第四帝国を夢見つつ、1982年にボリビアの軍事 政権が倒れるまで、治安担当の顧問として辣腕を振るったのでした。しかし、やがて 政権が変わると共にフランス政府に引き渡され、裁判で終身禁固刑を宣告され、1991 年に刑務所内で死亡しました。

 ナチズムといえば、すでに遠い過去となった昔の悪夢と思っていたのです。しかし 現代政治ゲームはそんな単純なものではなかったと言う事なのでしょう。こうして自 由と民主主義を標榜するアメリカ政府によってこうした人物達がしっかりと守られ、 中南米のあちこちで<反共>の名の下に、少しでも軍事独裁に異を唱える人々に容赦 ない拷問と死が加えられたのでした。反共・親米であれば後は何も問わないというの がアメリカの態度であったと言う事だったのかもしれません。バルビーは戦後も、ナ チSS(親衛隊)の制服こそ着ていませんでしたが、その内側は昔と少しも変わらぬナ チでした。目を凝らすと同様のことは中南米だけでなく、アジア、アフリカのあちこ ちで起こっているのかもしれません。けれど暴虐の限りを尽くした中南米の軍事独裁 者たちは次々と倒れていきました。弾圧の嵐の中で、聖書の解放の物語を自分に語ら れたものとして聖書を読み直す運動が始まりもしました。悪のはびこるこの世界です が、悪が最終的に勝利することはありえないともいえます。

(2008年09月14日 週報より)


戻る