信仰をつらぬく

 私の手元に「神社参拝を拒否したキリスト者」と題する本があります。(渡辺信夫著 新教出版社刊)

 この本は、韓国で戦前、戦中、日本の軍と警察による神社参拝強要 を拒否して言葉に言い尽くすことができない程の迫害を乗り越えられた韓国人女性・ 趙寿玉〔チョー・スオク〕さんの証言を著者がまとめられたものです。趙寿玉さんは 1914年慶尚南道生まれで、戦後1600名もの孤児を育て上げられた信仰深いキリスト者 です。ことは1938年、日本の朝鮮総督府の依頼を受けた<日本キリスト教会>の代表 が渡韓して、韓国の民衆、特に教会指導者に向かって「神社参拝は国民儀礼である」 がゆえに、これを行うように要請したのです。朝鮮総督府は、『神社参拝は韓国人を 日本に同化させるために最も効果的だと考えた』(22p)ため、翌年1939年から神 社参拝を韓国教会に強要したのです。すでに日本の内地の教会では<宮城遥拝> < 皇軍の武運長久> を祈ることは国民儀礼であるとして、教会は積極的、消極的に協 力していました。韓国において神社参拝を拒絶していくつものキリスト教主義学校が 廃校になりました。日本国内において神社参拝を拒否して廃校になった学校は一つも ありませんでした。韓国においてもかなりの教会が妥協せざるを得ず、参拝拒否は少 数者でした。参拝拒否者は警察による厳しい弾圧を受けるとともに、妥協的な教会体 制派から全体の決定に異を唱えたとして分派、異端の烙印を押され、時には礼拝出席 を断られる冷たい仕打ちを受けねばなりませんでした。

 趙寿玉さんは1940年9月20日についに投獄され、解放されたのは1945年8月19日。ほ ぼ5年にわたる虐待を耐えたのです。日本の宗教弾圧下でホーリネスの伝道者達も東 国生活を強いられましたが、それでも獄中にはトイレ用のバケツが置かれておりまし た。しかし韓国の受刑者には排泄物を処理する用具は何一つ与えられず、獄中がすな わちトイレでした。当然そこにはウジがわきます。5年間ウジが這い回る牢獄で趙寿 玉さんは信仰を守り抜きます。その牢獄の中で彼女は一人の死刑囚を、自分の独房に 引き受けて彼女の世話をし、やがて信仰に導いて回心させるのです。

 戦後、自由になった趙さんは孤児院の開設のため、慶尚南道を統括する警察局長に 許可申請のために面会します。ところがなんとその人は神社参拝拒否で告発された趙 さんを取調室で苦しめた警官その人でした。彼はあわてて最敬礼をして、趙さんの足 元にひざまづいて許しを請います。日本の敗戦まで日本の権力に仕えた人が、戦後横 滑りして反日を旗印に戦後の韓国の実験を握っていたことが明らかにされます。同様 なことは教会ですらあったと趙さんは語ります。信仰をつらぬいて投獄された人々は 戦後教会から締め出されたままで、日本支配時代の協力者達がそのまま戦後の多くの 教会の指導者としてふるまったと語ります。戦後、韓国教会は、神社参拝をめぐっ て、キリスト教信仰をつらぬいた人々と、妥協してしまった人々の間で、どう折り合 いをつけるべきかで対立が起こり、多くの教会で分裂と抗争を繰り広げたといわれま す。この一切は日本がアジアに向かって帝国主義支配を当然のように考え行動した結 果起こった日本のもう一つの戦争責任ということも出来るでしょう。神社参拝という 偶像礼拝を日本のキリスト者が<国民儀礼>のもとに隣国のキリスト者に要求するな ど、いまでは考えられもしないことがそのときには大きな問題意識にも上らずに行っ てしまう信仰原理の踏み外しがあったのです。日本キリスト教会は1990年の大会で謝 罪の決議をしましたが、それで責任が果たされたことには全くならないことです。記 憶し続けること、謝罪を深く心に刻むことこそ大切だと思います。

(2008年08月24日 週報より)


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