今週は信徒執筆です

2007年最初のジュニアクラスで考えたこと

大澤 信之  

 1月7日が、今年最初の主日礼拝でした。ジュニアクラスには、中学生2名、高校生 1名、大学生1名と飛び入り1名(オシャマな小学生)の計6名が参加しました。今 年初めての聖書はルカ6章12〜16節で副題として「12人を選ぶ」とついていま す。

 みんなで考えた内容の一部を、ご紹介いたします。

 イエス様が、「祈るために山へ行き、神に祈って夜を明かされた」との書き出しがあ ります。イエス様が徹夜で山(聖なる場所の意味)でお祈りしています。当時のユダ ヤ社会では、夜とは悪が支配する時間の事。更に当時の山の中での夜だから、さぞや 真っ暗闇で、さぞや一人である孤独を感じた夜だったであろうと思いました。 朝が来る。朝日が昇る。山をおりたイエス様は、弟子たちを呼び集める。ここで、弟 子たちの中から、「使徒」として12人を選び出すイエス様(使徒への権威付与、ル カの表現)。

1.ペトロ(シモン)、2.アンデレ(シモンの兄弟)、3.ヤコブ(ヨハネの兄 弟)、4.ヨハネ、5.フィリポ、6.バルトロマイ、7.マタイ、8.トマス、 9.ヤコブ(アルファイの子)、10.シモン(熱心党員)、11.ユダ(もしくは タダイ、ヤコブの子)、12.ユダ(イスカリオテ、裏切り者もしくは今流行のユダ 福音書の解釈で有名)で確かに12人。

 何人かは福音書や使徒言行録(これもルカ文書)に出てくるから知っていますが、他 の何人かはここにしか出てこない名前の使徒たち。名前を知っている使徒でも、内容 は「裏切り者」「イエスなど聞いたことはないと言い張った者」「イエスの復活など 信じない者」「使徒仲間内の地位競争に奔走する者」等々。 イエス様は、この人々を使徒とした。この使徒たちに後を任せたことになります。 この事の持つ意味を考えました。十字架で死ぬことをご存知であるイエス様の、この 選択は重要な意味を持つのではないか。

  1. この不十分な使徒を通して、イエス様ご自身を表されるという宣言であること。 この宣言によって、イエス様ご自身を、「そのように限定された」ということ。
  2. 言い換えると、イエス様を通して実現される神様のご計画は、使徒無しには実現 しない、と言っているように聞こえるということ。
  3. 使徒たちが、この信頼に到底応えられないという私たちの心配とイエス様の信頼 の違い。

 この内容の、今日的な意味は何かと考えました。

  1. 聖書に出てくる選択もしくは選任の基準は、どう見ても人間の能力主義では 無い(旧約聖書の記事も)。
  2. 神様のご計画は、自動的になされてゆくのでは無く、この能力主義では到底 選任されない人間を通して実現してゆく、もしくは、実現してゆくという信仰(絶対 的な信頼)。

 教会の業も、まさしく同様であると実感しました。「罪びとの集まり」であると告白 する教会で、私たちは「聖徒の交わりを信ずる」と、毎週の「使徒信条」で告白する のです。

(2007年01月14日 週報より)
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