1月7日が、今年最初の主日礼拝でした。ジュニアクラスには、中学生2名、高校生 1名、大学生1名と飛び入り1名(オシャマな小学生)の計6名が参加しました。今 年初めての聖書はルカ6章12〜16節で副題として「12人を選ぶ」とついていま す。
みんなで考えた内容の一部を、ご紹介いたします。
イエス様が、「祈るために山へ行き、神に祈って夜を明かされた」との書き出しがあ ります。イエス様が徹夜で山(聖なる場所の意味)でお祈りしています。当時のユダ ヤ社会では、夜とは悪が支配する時間の事。更に当時の山の中での夜だから、さぞや 真っ暗闇で、さぞや一人である孤独を感じた夜だったであろうと思いました。 朝が来る。朝日が昇る。山をおりたイエス様は、弟子たちを呼び集める。ここで、弟 子たちの中から、「使徒」として12人を選び出すイエス様(使徒への権威付与、ル カの表現)。
1.ペトロ(シモン)、2.アンデレ(シモンの兄弟)、3.ヤコブ(ヨハネの兄 弟)、4.ヨハネ、5.フィリポ、6.バルトロマイ、7.マタイ、8.トマス、 9.ヤコブ(アルファイの子)、10.シモン(熱心党員)、11.ユダ(もしくは タダイ、ヤコブの子)、12.ユダ(イスカリオテ、裏切り者もしくは今流行のユダ 福音書の解釈で有名)で確かに12人。
何人かは福音書や使徒言行録(これもルカ文書)に出てくるから知っていますが、他 の何人かはここにしか出てこない名前の使徒たち。名前を知っている使徒でも、内容 は「裏切り者」「イエスなど聞いたことはないと言い張った者」「イエスの復活など 信じない者」「使徒仲間内の地位競争に奔走する者」等々。 イエス様は、この人々を使徒とした。この使徒たちに後を任せたことになります。 この事の持つ意味を考えました。十字架で死ぬことをご存知であるイエス様の、この 選択は重要な意味を持つのではないか。
この内容の、今日的な意味は何かと考えました。
教会の業も、まさしく同様であると実感しました。「罪びとの集まり」であると告白 する教会で、私たちは「聖徒の交わりを信ずる」と、毎週の「使徒信条」で告白する のです。
(2007年01月14日 週報より)