かいま見た、がんばりの韓国

 先週月曜日から金曜日まで、三多摩周辺の教会の牧師と信徒の16人で、韓国のソウ ル市を訪ねる機会が与えられました。訪ねるたびに精一杯の歓迎を表わしてくださる 韓国のキリスト者に深い感謝を覚えながら余韻にまだ酔っているような気分にいま す。今回は、若々しく、疾走中の韓国の像に触れた感覚があります。いずれの場所に おいても共通するのは<熱気>です。教会は、今なおあつい信仰で、前日、会社に遅 くまで会社に残業していたサラリーマンも、若いお母さんも、朝5時半には、教会に はせ参じて、祈りに心を傾むけます。教会は、人々の熱気でいっぱいです。運転もイ タリア並です。赤信号も反対側から車が来なければ敢然と通過していきます。信号無 視は日本では重い交通違反行為ですが、警察もそれで飛んでくるわけでなく見過ごし ているようです。わたしはそうした車に同乗させられて、肝をつぶして、生きた心地 はしませんでしたが。

 この時期韓国は受験シーズンで、その第一の関門が一次共通テストです。わたした ち数人の牧師は物見高さも手伝って、見に行くことにしたのです。その日の朝、ソウ ル市はまるで高校生の受験のために存在しているかのようでした。ソウル大学駅をで ると、何台ものパトカー、白バイが受験生を乗せて運ぶために待っているのです。白 バイには同乗の高校生のためのヘルメットさえ備えられています。希望者がやって来 ると警察官は、けたたましくサイレンを高々と鳴らし、ライトを点滅して、受験会場 に突進します。試験会場まえでは、後輩に当たる高校生たちが太鼓と大歓声で迎え、 受験生を鼓舞するのです。それは例えてみればちょうどサッカー試合のノリとでもい えるかもしれません。ついでに高校生たちはその日授業はないといっていました。企 業も始業時間を繰り下げています。その朝はしんしんと冷えるソウルでしたが、高校 生たちは野次馬のわたしたちにも、用意した温かいお茶を振舞ってくれました。

 ソウルでの驚きは、英語を話す人々が極めて多いことです。高校生たちは、かなり 英語を話します。教科書を見せてもらいましたが、これがかなりぶ厚いのです。そし て彼らがこちらの問いかけに気持ちよく応答してくれることもとても、こころよいこ とでした。その背後でこうした競争に勝ち抜く、非常な努力があります。今のところ これを強いても、それを支える家族関係、あたたかい夫婦、親子関係が生きていま す。韓国の子供たちの、将来の夢を描きながら、がんばっている若者の姿はきらきら と輝いていました。でも、そうでない子供たちはどうするのかという質問はできませ んでした。

 わたしたちを主に世話をしてくださったマンリヒョン教会は、礼拝に400名ほど の信徒の集まる韓国では中規模の教会との事でしたが、高齢の教会員の中には、日本 植民地時代に、神社参拝を拒絶して凄絶な拷問を通過したサーバイバー(生き残った 人々)がおられます。日本語がいまなお話せる方で、わたしが説教したあとで、特別 に名乗り出て日本語の賛美歌を歌い、キリスト者として過去の痛みを越えてともに歩 むことを呼びかけられました。わたしの説教のあとで会衆から拍手が上がったことも 驚きでした。この長老の息子さんで、丸紅とも取引のある会社社長で、教会では現在 役員をしている方は「韓国教会は日帝との戦いでは多くの犠牲者を出しはしたが、必 ずしも勝利したのではなかった。1970年代、独裁政権下で、30年代の轍を踏まないた めに、一致して民主化のために力を尽くした。そのことが今の教会の隆盛の基礎なの です。」とわたしに語られました。わたしはあらためて、日本支配の爪あとが韓国の 人々の心の中に傷を与えていることを感じました。高校生たちは「スマップが好 き。」というし、日本にも行きたい、と語る子もいます。日韓はお互いにしっかりと 手を握り合う土台は据えられていることを実感しました。でもそれはわれわれ日本人 が、きっちり過去を見つめて、過去の罪責を見つめる中に、韓国の心とつながれるの ではないか。わたしはそんな気がしました。韓国人が必死に前に前進しようとするの も、過去のようなつらく苦しい状況を再び味わう事のないためと、別の牧師が言いま した。すべて韓国のがんばる力の基礎に、日本支配の体験が楔(くさび)のように打 ち込まれています。

(2006年11月19日 週報より)
戻る