今週は信徒執筆です

想い巡らせて

 菅原克広    

 あなたは、自分自身を我がままだと思ったことがありますか?‥‥と人に問う前に、自分自身も我がままだと感じた事が何度あるだろうか。今、言葉どおり胸に手を当てて考えてみる。・・・

 大好きな人・愛する人・大切な人・見ず知らずの人・単なる知人など私たちは、日々沢山の人と接している。我がままとは、相手がいて初めて発生する想いや感情のようだ。「我がまま」を辞書で調べると「そのさま。気まま。ほしいまま。自分勝手」とのことだ。相手の気持ちを無視して自分の思いを押し付けたり、自分だけが正しいと思い込んだり。第三者から見ると気にかかる事が、本人はなかなか気が付かないものだ。自分自身への弁護や擁護ほど肝要なものは無いかもしれない。先に述べたように自身の胸に手を当て考えた結果、むしろ、私が過去に我がままでない日のほうがほとんどのような気がした。

 反対に人に対する思いやりについても考えてみた。家族などの身近にいる存在には気を配っていても、それ以外の人に対しては、優しい思いを持つことが少ない自分に気づく。まして、テレビや新聞のニュースに出てくる遠い地方の人の不幸に対しての思いはかなり低い。最近のメディアのニュースをみていると単なる事件として片付けるには、痛ましい犯罪が多い。また、他国の貧しい子供たちが受けている差別や苦難は、見ていて心打たれることが多い。

 この由木教会でも小枝牧師先生を始め、信徒が協力して、いろいろな募金や援助活動を行っているが、より力強い援助を行うには、多くの人々の理解や助けが必要となる。

 何かしなければ、何をすればよいだろうと悩むこのごろ。弱い人間として一人ではなく、多くの人の力を借りて何かしなければ・・・・
今、何が必要か、何をすればよいか、僕たちクリスチャンが中心となって出来ることを考えて行動に移さなければ。

(2006年06月11日 週報より)
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