今週は信徒執筆です

<歩み>

『・・・ あんたは神のもとへ行って、労働者でなく、神の息子になりなさい。それであんたは限りない神とその仕事に参加する人間となるだろう。神のもとには大きいもの小さいものもありはしませぬ、また人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。人生のまっすぐな道に入りなさい、そうすればあんたは神と共にあるようになるだろう。そしてあんたの仕事は大きくも小さくもならない、ただ神の仕事となるだろう。・・・』
  (トルストイ 「光あるうち光の中を歩め」より )

 教会は様々な人達の集まりです。ある人は生まれる前から(私の場合はそうでした)、ある人は晩年に、それぞれのところを通されて、若い人も、老いた人も、イエス・キリストと出会い、教会に共に集っています。
 神と共に歩むこと、神と共に歩む人たちと共に歩むこと、が教会の歩みなのだと思います。

 教会の歩みでは、集う人々により様々な働きが、なされており、その一つひとつが、大切な働きであると思いますが、働きの中で、自分が何か出来ると期待したり、また自分には出来ないと自己卑下したりと、自己を評価し、また自己ばかりか他者をも評価してしまうことの多いことを感じます。教会の歩みを、何か目に見える成果を期待された働きのように捉えてしまっている自分に、上の書物を読み、気付かされます。何かをしたとか、大きい小さい、出来る出来ないでなく、神と共に歩むことそのものが教会の歩みなのだと思わされます。

 神に招かれて、教会に集う一人ひとりの歩みこそが教会の歩みであり、そのことが、とても大切なことと感じています。

 (芳賀進)  
(2005年09月11日 週報より)
戻る