今週は信徒執筆です

平穏であること

                             辰巳 朝子

 連日、うだるような暑さが続くこの時期、毎年、高校野球が甲子園で開幕されます。ちなみに今の外気温は35.9度です。テレビは日頃みる習慣がなく、ましてやスポーツ観戦は4年に1度、オリンピックダイジェスト見る程度です。きょう8月7日は、息子がこの4月より在籍する高校が3年振り3回目出場、ついつい、引き込まれて見入りました。1回は5−0、2回以降、1点ずつ返して、ついに5回裏で5−7で逆転。9回を迎え、同点のピンチ。はらはらとする中、9回裏、8対9で2回戦進出しました。野球部員の多くは、スポーツ推薦枠で入学し、彼らが所属するクラスは通称スポ選クラスと言われ、日頃、息子たちの通常のクラスとは接点がありません。この4月の高校の入学式に、新高校1年生が、名前を呼ばれ、順に返事をしました。体は一回り以上大きく、返事する声量の迫力も他とはまるで違うクラスの存在に、父兄席から軽いどよめきが起き、後でそれが、スポ選クラスであったと知りました。入学式の行われた建物の横に、野球の練習用の夜間照明のついた大きなグラウンドがありました。そんなわけで、今年の甲子園は、身近に感じられます。

 60年前の8月の今日のように暑い日、日本は第二次世界大戦の終戦をむかえました。戦火に怯えて青春を過ごしていた親の世代、見上げる空に、B29。しかし、戦争は過去のことではなく、この地球のどこかで60年前の第二次世界大戦終戦後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争、・・・アフガニスタン、イラクへの侵攻と、切れ間無く戦いが続き、戦いの傷跡も消えることなく残っています。残された人々を襲う不安、貧困。今朝の主日礼拝で、ユニセフの調査の話がありました。それによれば、2億5千万人の子供たちがカカオの収穫などの強制労働で駆り出されているといいます。やわらかい子供たちの心にどんな影響を与えるのでしょうか。

 私は、偶然に、現代の日本に生まれ、平穏の中に、子供時代、青春を過ごしてきました。親子関係、受験、進路、仕事、さまざまな出来事に深刻に悩みました。それらには苦しみを伴いましたが、戦争や餓えなどの不可抗力の恐怖に怯えゆさぶられるのではなく、平穏の中で自分と十分に向き合えるぜいたくな時でした。甲子園の赤い土、青空の下、バットを白い球に当てるカキンとかわいた音が響きます。日焼けした肌に光る白い歯、すばらしいドラマがあり、せいいっぱい向き合っている姿に感じ入ります。平穏に感謝を。この平穏を支える働きを微力でもできればと思います。

 話は変りますが、私は、言語聴覚士(ST)という仕事をしています。この仕事を選んだきっかけの一つは小学校2年のときの体験と深く関わっているようです。当時、近所に聾の方がいました。母が柱に文字を書いて聾の人とコミュニケーションをとっていました。声はまったく聞こえず、文字を空書したり、うなずいたりする身振りだけの不思議なコミュニケーションの空間、その情景は今も鮮明に思い浮かべられます。その頃からコミュニケーションて何だろうと考え続けてきました。日本でSTが国家資格となったのは、7年前のことです。STの先輩方が10年余りの月日をかけて、政府に根気強く働きかけて得られた資格です。STはごく限られ国・地域にしかいません。仕事の内容はコミュニケーションに障害を持つ方たちへのコミュニケーション援助です。先日、海外青年協力隊に参加経験のある言語聴覚士を志す大学院生が、テレビ電話を使って、コミュニケーションの指導を行うというテーマに取り組んでいる話を聞きました。日本で、私達が取り組んでいるSTの仕事の一部が、テレビ電話の力を借りて、まだ、STなどいないような世界のどこかの地域で誰かのコミュニケーションを支える助けになり得るかもしれません。聖書のことばを借りれば、『目からうろこ』(使徒言行録9章)というところでしょうか。一人よがりでしょうか。戦後のたいへんな混乱や苦しみを経て得られた平穏の中で育まれた私たちの文化が必要としている方々の助けとして用いられるように願います。 

(2005年08月14日 週報より)
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