今週は信徒執筆です

<心に納めて生きる生き方>

                              西村芙沙子

 渡辺和子著「目に見えないけれど大切なもの」という本を読みました。その中に“心に納めて生きる”生き方について書かれている文章があり、私の心に響きました。著者は次のように述べています。

―聖母マリアも「心に納めること」を知り、かつ実行した人でした。
藪から棒の受胎告知に始まり、神の子であるイエスが十字架上で悲惨な死を遂げるのを見守るまでの三十数年間、マリアの生涯には、不可解なこと、「言えば愚痴になる」ことが沢山あったと思うのです。マリアはそれらのことを「ことごとく心に納めていた」と、聖書は記しています。
 このように、誰にでも他人に言えない悲しみや苦しみがあるのだ、そういうものを抱えて生きているのだと思う時、私たちの相手に対する思いとまなざしは優しくなるのではないでしょうか。
 ・・・・・それは決して、自分の感情を抑圧してしまうことではなくて、「神さまのなさることに間違いはない。私たちの力に余る試練はお与えにならない」と、神の愛を信じ、納得して、出来事の一つひとつを、“胸にあたため、花に変えて”神に捧げることなのです。
 人はそれぞれ、悲しみであれ、苦しみであれ、“目に見えないもの”を持って生きているのです。このことを忘れないで、自分の生き方を正し、他人の生き方への理解を深めてゆきたいと願っています。―

 今日は母の日です。ベツレヘムで誕生されたイエスの傍らに、「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」母マリアがいたように、エルサレムの神殿で、12歳になった少年イエスに、「これらのことをすべて心に納めていた」母のまなざしが注がれていたように(ルカによる福音書2章)、私達の母にもまた、私達のために“心に納める生き方”をしてくれた場面があったのではないでしょうか。私達の感謝の気持ちを、美しい花の季節、五月の爽やかな風に託したいと思います。そして私達もまた、神さまからの助けを頂いて、社会の子供たちに、そのような、まなざしを注げる父母になりたいものです。

(2005年05月08日 週報より)
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